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2023.06.23

自然が、自然に、とけこむ日々

松場登美さんにきく、「繕う」「使いこむ」ことでつながる暮らし


自然を感じる暮らしって、ローカルな場所でなければできないのでしょうか?日本の伝統って、いまの私たちの暮らしとは縁の遠い話なのでしょうか?きっと、そんなことはありません。「自然が、自然に、とけこむ日々」のシリーズでは、もっと自由に、いまのスタイルにあわせて、日本の風習や、季節の情緒を楽しむかたちを探っていきます。

使いこむ暮らしの伝道師、「群言堂」の松場登美さん

「いちばん美味しいからこの炊きかたにする」
「面白いからこの柄を集める」
「好きだから欠けてても使っちゃう」
そんな、理屈ではない判断基準を、私たちは誰しも持っています。

松場登美さんの創設した“群言堂”では、その感覚を大切にしながら暮らすことの心地よさを思い出させてくれる衣類および雑貨の販売、古民家の改修などを手がけています。松場さんにうかがったお話や、改修した古民家の取材を通して見えてきた、豊かな暮らしのヒントを前後編でお届けします。

※前編『豊かな暮らしをつむぐ古民家のお宿 “他郷阿部家”』はこちらから。

使い捨て・買い替えの文化がすっかり定着して、ほつれたボタンひとつ付けなおすことも容易ではなくなっているように思います。「繕う」「補修する」と聞くととても敷居の高いものに感じられるかもしれません。けれども松場さん流の持ちものとの関わりかたは、自然体で、もっと自由なもの。

群言堂の創設者・松場登美さん

後編では、持ちものと長く心地よく向きあう暮らしの在りかたを見つめていきます。

壊れても破れても、終わりじゃない

取材班がお伺いした群言堂の宿“他郷阿部家”は、朽ちかけていた古民家を買い取り、リノベーションしてお宿として使われている建物です。外観だけではなくその内部も、古びたものたちで彩られていますが、それらはどれも単なる「古民家を演出するインテリア」ではなく、今なお現役の歴史をかさねた家具や道具たち。そんな格調高くも肩のちからが抜けるような、まどろみの空間のなかで、松場さんにお話をうかがいました。
手元に用意してくださったのは、1つの片手鍋。真っ先に目を引いたのはその持ち手です。節がたち艶めいた皮もついていて、明らかに「木の枝」だとわかります。

(松場)この鍋は、取手が壊れてしまったから、そこの庭先の梅の枝を取ってきて取り付けています。

そこの梅の木、ですか?

(松場)そうです。取手が壊れたから、じゃあこの枝をはめてみよう、ってね。繕う文化っていうのはあると思うんですね。きれいに磨いた木よりもこっちのほうが、木の皮が残っていたりして素敵でしょう。

たしかに、節のあととかも表情があって、かえって趣きが出ているというか…。

(松場)美しいってそういうことなんです。なんでも壊れたから、汚れたから捨てるという人に、こういうものを見せてあげたいですね。壊れたらおしまいではなく、壊れてもこうやって使いつづけていくことに意味があると伝えたい。みなさんの後ろに置いてある布巾は、旅館で着古した浴衣の布に近所のおばあちゃんが刺し子してくれたものですし、この場所に置いてあるものは、ほとんどがそういう、捨てられたものとかなんです。

こういう材料とか道具とかは、ひとつずつ探して集められたんですか?

(松場)私はご縁のあったものしか手に入れないんです。誰かが捨てたものとか、「使ってもらえないか」と声がかかったものとか。本当に縁のあったものを大切にするっていう考えかたで、むしろ立派な梁とか柱とか、太いから立派だとかこれは銘木だとか、そういうみんなが見ている物差しには興味がなくて。人間でも一緒ですよね。優秀だからとか、美人だからとか、そういうことではなくて、光るものを持っている人はいっぱいいます。

ゆがんでも、色が変わっても、今なお現役の道具たちであふれている。

(松場)あと、そこの障子を見てください。私の大好きな「ぼろの美」の写真集をコピーして、破れたところに継ぎあてしていっています。すごく素敵でしょう。障子も破れたらだめだとかではなくて、破れたらこうしよう、と楽しむことがいいんです。

昔の家に行くと、障子の破れたところに花の紙を貼って隠していたりしますよね。

(松場)私、実はあれはちょっと嫌いで。「こうだからこうしなくちゃいけない」っていう…とらわれがちですよね。学校で教えられたからこうしなきゃいけないとか、そこに自分の考えがなくなってしまう。破れたら好きなように貼ればいいって思うんですよね。

継ぎあてにした障子は、今でも破れるたびに「育ち」つづけている。

そういうのってかっこいいなと思う一方で、「これが良いんだ」っていう確証が自分の中にないと、不安で周りの価値観に頼りたくなっちゃうのかなとも思います…。

(松場)子どもだってみんな心地いいものしか、自分が好きなものしか着ないでしょう?猫だって居心地のいいところを知っているというでしょう?大人だけが、いろんな知識とか余計なものをいっぱい入れて振り回されて、心地いいとか、美味しいとかがわからなくなっていると思うんです。理屈っぽくなりすぎていると感じています。

群言堂が営む宿の一室。垂木の朽ちた部分に添え木しており、識者からは「正式な改修の仕方ではない」と言われることもあるが、じゅうぶんに心地よい空間になっている。

暮らしが宿り、足跡が残るからこそ、時を経て美しくなる。

(松場)最近改修した古民家(福富家)は、台所の天板が銀杏の一枚板なんです。それで、ガス台とシンクのところを切り取ったから、その板でまな板を2枚作ったんです。おむすびをこの上に乗せてお客様にお出ししたらすごく良いかなと思って。

銀杏の天板の台所と、くり抜いた板からつくったまな板。

(松場)天井はうちの社員さんたちと、みんなで柿渋を塗ったんです。壁もねずみ漆喰で。誰でも塗れるように、ゴム手袋をして手で塗りました。やわらかい、いい味わいになりました。

みなさん自分が関わったとなると、やっぱり愛着がわいて特別な存在になりますね。

(松場)孫たちも来てやりたがったから、挑戦してもらいました。ムラになったりして下手なんだけど、でも、孫たちが大きくなって、そのとき私はもういないかもしれないけど、「ばあちゃんとここ塗ったよ」とか、そういう思い出のほうが大事でしょう?
 
天井や壁をみんなで手作業で仕上げていった。

古民家を改修するときに、デザイン的な部分は松場さんが決められるんですか?

(松場)そうです。家の声を聴くんです。この家がこういう風になったら、こういう人たちが集まれば、家が喜ぶなっていうのを考えて、全て職人さんにお願いします。でも建築の専門的な勉強をしたことはありません。お洋服のブランドも作りましたけど、やっぱり何も勉強はしていないんです。単純に、こういう天然素材で体を締め付けない、こんな服があったらいいなって思って。当時は「妊婦服みたいだ」とかいろいろ言われて、アパレル専門の方からは「こんなの服じゃない」って言われたりもしましたね。笑
(松場)動物と同じで直感的に、これ美味しいぞとか、これ気持ちいいぞとか、そういう感覚なんですね。

松場さんが持ちものを大切にされるのは、そこに暮らしが宿っていくから、ということでしょうか。

(松場)そうだと思います。今の先進国がやっているような暮らしかたを途上国でもするようになったら、地球が4個ないともたないと言われています。昔の日本の人たちは、素晴らしい暮らしをしていました。ただ、私は「昔の暮らし」をしたいとか戻したいとかは思っていなくて、「美しい暮らし」をしたいと思っています。ここでいう美しいっていうのは見た目だけではないんですよね。だから「繕う」ことはすごく美しいと思うんです。

使い捨てではなくて、繕いながら使いこんでいくという価値観を広げていきたいですね。

(松場)私たちは服も作ってますけど、できた時が完成ではないと思っています。特にうちでは天然素材を中心に扱っていて、使っていくうちに馴染んでいったり、そういうことを大切にしたいですよね。経年変化というのは、そういうところが魅力になる。それを私は「美しい」と思うんです。鎌倉で陶器のギャラリーを営んでいる友人がいるんですけど、同じ器で使いこんだものと新品とを並べて、お客さんにどっちが良い?って聞くと、みんな「古いほうが良い」って言うんですって。お酒を何度も飲んだことで色が変わって、欠けたところは金継ぎしてあったりして。
(松場)木なんて特に、何百年も持ちますから。命を全うするまで使い尽くすということが大事なんです。モノだと思わないで、人間の生きかたと一緒なんですよね。

宿の中には本物の木でできた家具や道具も数多く並んでいる。

きれいに直すことや体裁・常識に囚われず、壊れたらこうしよう、破れたらああしようと楽しむこと。壊れても捨てたくないと思えるものを、大切にすること。持ちものと長く向き合う暮らしかたとは、じつはとっても素朴で単純なものでした。

ほつれた衣服、染みのあるソファ、褪せたテーブル。みなさんは暮らしのなかに、長く使いこんできた相棒はいるでしょうか。もう寿命かな…とあきらめる前に少しだけ立ち止まり、自分流の「繕いかた」を考えてみるのも楽しいかもしれません。そして「繕ってでも使いつづけたい」と思える存在に出会えること、そのご縁を大切にすることの積み重ねは、心地よい暮らしの未来へときっとつながっていくはずです。

*撮影こぼればなし*

編集部メンバーの1人は学生時代に、ゼミの見学で群言堂を訪れたことがありました。その際に「月明かりだけでお酒を吞む場所」があると聞いており、今回ぜひにとお願いして見学させていただきました。

“無邪く庵”と名付けられたこの場所は、電気もガスも水道も引いていません。窓をぬけて差しこむ光と、夜はちいさな和ろうそくの灯りだけを頼りに過ごす空間。文明的なインフラを排することで、刻々とうつろう時間を感じ、雨の気配に気づき、虫の声を知る…いつもは眠っている五感が揺り起こされそうな空間だなと感じました。松場さん自身も「いちばん好きな、特別な場所」と語る無邪く庵は、「本当の豊かさとは何なのか」を問い続けている、群言堂の原点ともいえる場所です。

今回の取材班は全員お酒に弱いメンバーでしたが、ここで呑むお酒の味は格別なんだろうな…と思いを馳せて、ほろ酔い気分で帰路についたのでした。(実際には呑んでいませんので大丈夫◎)

(文:早川)

<取材協力>


石見銀山 群言堂
https://www.gungendo.co.jp/