自然を感じる暮らしって、ローカルな場所でなければできないのでしょうか?日本の伝統って、いまの私たちの暮らしとは縁の遠い話なのでしょうか?きっと、そんなことはありません。「自然が、自然に、とけこむ日々」のシリーズでは、もっと自由に、いまのスタイルにあわせて、日本の風習や、季節の情緒を楽しむかたちを探っていきます。
群言堂の営む“暮らす宿 他郷阿部家”
「いちばん美味しいからこの炊きかたにする」
「面白いからこの柄を集める」
「好きだから欠けてても使っちゃう」
そんな、理屈ではない判断基準を、私たちは誰しも持っています。
松場登美さんの創設した“群言堂”では、その感覚を大切にしながら暮らすことの心地よさを思い出させてくれる衣類および雑貨の販売、古民家の改修などを手がけています。松場さんにうかがったお話や、改修した古民家の取材を通して見えてきた、豊かな暮らしのヒントを前後編でお届けします。
※後編『松場登美さんにきく、「繕う」「使いこむ」ことでつながる暮らし』はこちらから。
編集部が“群言堂”を知ったきっかけは、松場さん流の「繕う暮らし」を取材した、とある雑誌の記事でした。「繕う」という言葉のイメージの敷居の高さとは裏腹に、松場さんの考えかたはとても素朴でシンプル。そして繕うことで美しく磨きあげられていくのは、綿や麻、陶器、金属、そして木材といった、ごく身近ながらも、現代の化学製品の陰に潜むようになってきた素材たち。森を育て、その森の木を加工して、永く心地よい暮らしをお届けすることを目指している会社の一員として、ぜひお話をうかがってみたいと強く思うようになったのでした。
前編は、“暮らす宿 他郷阿部家”にまつわるものがたり。
阿部家は松場さんが手がけた再生古民家のお宿です。群言堂が営むからこその体験と時間が待っている阿部家の歴史と、そこにこめた想いをうかがいました。
ものを残さないと、技術も残らない。
他郷阿部家があるのは、島根県大田市大森町。世界遺産・石見銀山の起点となる、山あいのちいさな集落です。1789年に建てられたという家屋は、松場さんが購入した当時は見る影もなく朽ち果てていました。
阿部家を購入して今に至るお話をお伺いできますか?
(松場)現在「石見銀山 群言堂本店」としてショップやカフェとなっている古民家の改修がほぼ終わったころに、阿部家の持ち主が「ぜひ買ってもらえないか」と相談に来られたんですね。思った以上に家屋の状態は悪かったし、お金もなかったけど、なんとなく阿部家に呼ばれた、選ばれたような感覚がして、大借金をして買うことにしたんです。
(松場)母屋、土蔵、納屋…と、2002年から、8期に分けて工事をしていき、2022年に外側の土塀を直して、ようやく完成を迎えました。改装は県内の工務店に頼みました。ただ、自然素材って必ずメンテナンスが必要でしょう。だから私が引き取ったときに壊れていた部分はひととおり直したけど、そのうち傷んでくる部分も出てくるから、それはもう永遠に、順繰り順繰りに、修理しながら使っていくことになりますね。
これだけの改修をする技術のある職人さんが、近くにいらしたんですね。
(松場)ものを残さないと技術も残らないんです。たとえば私たちは会社の象徴として、25年前に、築270年の茅葺きの家を広島から移築しているんですけど、5年前に全国から6-7人の30代くらいの若い茅葺き職人さんが来て、葺きかえてくれました。こういう現場を経験することで、職人さんたちの学びの場になっていると思います。左官職人も減っているので、これからの工事では出来るだけ左官仕事も増やしていきたいと思っています。
阿部家を購入したときには、将来的な使い道は考えていましたか?
(松場)私はよく「家の声を聴く」というんですけど、家と相談しながら、家がいちばん喜ぶ使い道を考えます。宿にするから宿用に、という改修の仕方はしません。そうすると施設感が出ちゃって、家の魅力がなくなっちゃう。お客さまには、ここを家のように感じてくつろいでほしいんです。飲みものも自由に飲んでもらうし、そうすると「次のかたに」とまた持ってきてくださるお客さまがいらしたりして。そして私は毎晩、泊まられるかたと一緒にお食事をして、お話をさせていただいています。お金はあまりないけど、人との出会いで考えると、今の暮らしはとても豊かなんです。
古民家を改修される時には「原状回復」ではなくて、現代の人が暮らしやすくて魅力があるようにと考えてされているのでしょうか?
(松場)暮らしやすいというよりは、環境としてこういう暮らしをすれば社会が良くなる、という考えですよね。私は昭和24年生まれで、経済成長の真っ只中を生きてきました。海外ブランドにはまった人もいるし、日本の良いものをどんどん捨ててしまって…。今、国内市場で売られている衣料品の98%が海外製。まだまだ日本に良いものがあるのに、「安いから」というだけで海外製のものを選び、その結果、使い捨てるように買い替えつづけることが当たり前になってしまいました。こういった習慣を変えないと、と感じています。私はそういった「価値観」を伝えたいのです。次の世代の人に、すこしでも良いものを残したいという思いで、やっています。
食べることには、人をつなぐ力がある。
他郷阿部家では、お宿でありながら厨房と食堂が同じ場所にあるというのがとても興味深いです。
(松場)この竈でご飯を炊き始めると、3歳すぎたぐらいのお子さんたちはみんな集まってきます。もう少し大きくなった子であれば、ご両親の許可を得て、マッチをするところから一緒にやります。子どもって火が大好きで、火から離れないんです。そしてことのほか、おむすびをたくさん食べてくれます。
(松場)なにより、竈で炊いたご飯は美味しいんです。炊飯器のCMのほとんどが「かまど炊きみたい」と言っていますよね。そして私たちがお客さまに竈で炊いてお出ししているのも、竈で炊いたご飯は美味しいから。時々、ご希望されるお客さまには、挑戦していただくこともあるんですよ。古いものを残したいとかではなく、竈のご飯が美味しいから、自分で炊くと美味しいから、そういうことを伝えたいと思っています。
たしかに、たとえば自分で梅酒を作ると、買ってきた梅酒とは違って「今年は少しさっぱりしたな」とか「冷やす場所を変えようかな」とか、もうひとつ心が動くような感覚になったりしますね。
(松場)そういう感覚が大切だと思うんです。食べるということに対して、現代は結果ばかり求めています。できるだけ早く、効率よく食べるように。でも本当に大事なのは、プロセスなんです。ここでご飯を炊こうと思ったら、裏山のヒノキ林の枝を拾いに行ったり、天日干ししたり、薪割りしたりしなければなりません。そのプロセスがものすごく豊かなんです。裏山に行くと花が咲いていたり、鳥のさえずりが聞こえたりするでしょう。炊飯器のスイッチポンでそれを感じられますか?そういうものがどんどん消えていってることを、とてももったいなく感じています。でも最近になって少しずつ、お漬物を漬けるとか、そういう感覚への関心が戻りはじめているような気はしますね。
いま、安全重視で子どもをキッチンに入れさせない、という間取りの家も多くあります。
(松場)以前、お孫さんが煙を知らなくて「けむい」と言ったら、おじいちゃんが「この煙も、湯気も、パチパチいう音も、すべてがご馳走なんだよ」とおっしゃいました。それこそが食育であり、大事なことだと思うんですよ。食べることは五感を全て使うでしょう。ここの料理人は、彼の子どもが4歳になると包丁を作ってプレゼントします。危険なことは存在そのものではなく、使いかたなんです。
お宿で出すお料理には郷土料理とかもあるのですか?
(松場)郷土料理にはこだわっていません。それよりも何か未来に向かって新しい創造性があることを大事に考えています。そのなかで、自分たちの手に入るもので、美味しいものを出すんです。季節のものは絶対美味しいに決まってるからお出ししますし、かといって必ずしも旬のものじゃないと駄目なのかとか、そういう頭でしばられることもありません。美味しいことが大事だと思うんです。
(松場)食べることには人をつなぐ力があります。コロナで本当に大変な時期が続いたけど、「同じ釜の飯を食う」という言葉があるように、一緒に食事をするということは大切。だから私は泊まりに来られたかたがたと毎晩2時間半くらいかけて一緒にお食事をしますし、みなさんそのことをずっと覚えてらっしゃるんです。
他郷阿部家に来られた皆さんは、ここでどんな感想を言われるのでしょう。
(松場)「幸せ」「心地いい」「美味しい」とか。それと年代国籍問わず「懐かしい」とおっしゃるかたも。
阿部家をいろどる宝ものたち
他郷阿部家のなかは、ひとつひとつが過去を持ち、松場さんたちの想いのもとで生まれ変わった古道具で満たされています。あまりに多いので、この記事では松場さんのエピソードを添えて3つだけご紹介。残りはぜひ、実際に他郷阿部家に訪れて体感してください。
1|廃小学校からやってきた大きなテーブルの正体
台所にはとても大きなダイニングテーブルが鎮座しています。宿泊客と松場さんとが家族のように語らいながら食事をいただく、阿部家の中心のような場所。
(松場)じつはこのテーブル、廃校になった小学校の階段の腰板だったものです。だから裏からのぞくと、穴や切り込みがそのまま残っています。きれいにしようと思ったら、そういうのを切ったり埋めたりするけど、私たちはその物語にこそ意味があると考えています。テーブルの脚は廃線になったトロッコのレールだし、床板も小学校の廊下の床材。子どもたちが毎日のように雑巾がけをしていた木の丸みや、なんとも言えない味わいがあるんです。そしてこのテーブルを、今では何万人というお客様が食卓を囲んで、さらに味わい深くなっているのだと思います。
(松場)私は「“美しい”と“きれい”は違う」と考えています。きれいというのは表面的なものであって、どんなものでもいずれは汚れていく。ところが、自然のものは汚れてもそれまでとはまた異なる美しさを発揮しはじめる。人工的なものは汚れたらそれで終わりだけど、ここではテーブルも床も食器棚も、いろいろなものがさらに美しさを増して、第二の人生を送っています。
2|器のカケラを埋めた土塀
(松場)去年改修した土塀をご覧いただきたいですね。もともとの荒壁のなかに、昔の藍の器が混じっていたんです。それを素敵だなと思って、畑を耕した時に出てきたカケラを貯めておいて、少しずつ埋め込みました。「文化財」というと博物館みたいになりがちだけど、未来につなげていく、現実に暮らしを楽しむ空間にしたかったので、こうしてあちこちに遊びを加えています。
3|1本の木から切り出したアフリカのスツール
(松場)私、これが大好きなんです。なんで好きかというと、私は非効率なことが好きなんですよ。このスツールは、1本の木からくり抜いてあるんです。効率性・経済性から考えたらありえないでしょう。これだけの太さの木から、1つしか作れないということなんですから。
1本の木からひとつしか作れないからこそ、もとの木がどんなかたちで、どんな土地で育ったのかなとか、職人さんはどれだけの時間をかけてこれを削りだしたのかなとか、辿ってきたものがたりへの興味を掻きたてられました。だから「生きているよう」に感じられたのかもしれません。
あらゆるものが無垢に還る場所
他郷阿部家の「他郷」とは、「異教の地でまるで自分の故郷のように迎えられる喜び、縁の尊さ」をさす中国の言葉に由来しています。この阿部家に迎えられているのは宿に集う人たちだけではなく、どこかで役目を終えた道具、野に咲く草花、山や海のめぐみなど、あらゆるものが純粋に受け入れられて、新しい息吹を吹き込んでもらえる場所なのだと感じました。
大人も子どもも無垢なこころでくつろぎ、遊び、懐かしく感じられる“他郷阿部家”。そこで紡がれるすべての時間は、効率よく生きることに慣れてしまった私たちに、まじりけのない「豊かさ」「美しさ」を感じとることの大切さを思い出させてくれます。
*撮影こぼればなし*
他郷阿部家のなかはたくさんの見どころであふれています。記事でとりあげた以外で取材班の心にのこったのが、満場一致でお風呂でした。和ろうそくの灯りで入るこちらのお風呂。冬場にはストーブを焚いてあたたかく、夏には引き戸を開け放ち、時には蛍が舞うなかで、湯船につかることができます。
(文:早川)
<取材協力>
石見銀山 群言堂
https://www.gungendo.co.jp/