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2018.09.19

自然が、自然に、とけこむ日々 #01

美しさも、美味しさも、より深く。 月見の見方 保存版

自然を感じる暮らしって、ローカルな場所でなければできないのでしょうか?日本の伝統って、いまの私たちの暮らしとは縁の遠い話なのでしょうか?きっと、そんなことはありません。「自然が、自然に、とけこむ日々」のシリーズでは、もっと自由に、いまのスタイルにあわせて、日本の風習や、季節の情緒を楽しむかたちを探っていきます。

お月見って、どう見ればいいのですか?

秋になって、十五夜がやってくると、お月見だんごをかざって、お庭やベランダに出て、まあるい月を眺めて・・・・。なんとなく、こどもの頃から馴染みがあるような気はするけれど、知っているようで知らない「月見」のこと。このコラムでは、「月見の見方 保存版」と題して、お月見の意味であったり、楽しみ方であったりを、改めて見つめてみたいと思います。

今回、お話を伺ったのは、こちらのお二人。

竹本洋平さん(写真左)は、明治20年創業の老舗「髙山堂」の五代目。和菓子の伝統を受け継ぎながら、お菓子の素晴らしさをより多くの人へ伝えるために、さまざまな新商品やイベントの企画を手がけられています。水本理恵子さん(写真右)は、“暮らしの道具とにっぽんの贈り物”を扱う「hitofushi」の代表。お店と雑貨通販を営むだけでなく、“日本をていねいに暮らす”ための情報発信やワークショップにも力を注がれています。「和菓子」と「暮らしの道具」をとおして、伝統と現代をむすぶ橋渡しをされているお二人に、お月見にまつわるあれこれや、いまのライフスタイルにあった月見の楽しみ方をお聞きしました。

お二人に聞いた月見の話は、想像以上に自由でのびやかなものでした。

そもそも、お月見のはじまりは?

お月見という風習は、いつからはじまったのでしょうか?

水本:もともと月を愛でる「観月祭」という風習が、中国から伝わったとかいわれているけれど、たぶんそんなに大袈裟なことではなかったはずですよ(笑)。いまの電気がある暮らしをもとに考えてしまうとイメージしにくいかも知れないけれど、ちょっと目をつぶって昔に戻ってみると、お月さんというのは、絶対いまよりインパクトがあったはずなんですね。

竹本:そのころから「月見」と呼んでいたかどうか分からないのですが、月を愛でながら収穫をよろこび、感謝をする。そんな風習が生まれてきたのでしょうね。

水本:お月さんというのは、いまよりずっと明るい存在だった。稲作がはじまるよりも、もっと前の時代、主食のひとつだった芋が収穫できる秋に、ひと息ついて月を見てよろこんでいたのではないでしょうか。まだ暦がちゃんと存在してない頃は、月の満ち欠けって、畑に農作物を植える時期や収穫の目安にもなったりして、もっともっと月自体が身近なものだったと思うんです。

竹本:月は生きていくうえでの道しるべのような役割をしていたのだと思います。季節の変化や気候の変わり目なんかも、月を見ながら感じ取っていたのでしょうね。

もともと、お月見というものは、ごく自然なものだったんですね。

竹本:それから後、「観月祭」という風習が中国から伝わったのは、平安時代だといわれています。平安の貴族たちは、月を見ながら宴会をしていました。

水本:池に舟を浮かべてね。なぜ舟を浮かべるかというと、直接月を見るのではなく、池に映った月を楽しむため。そして、お酒を杯に入れて、そこに映った月も楽しむんですよ。

とても粋ですね。格好いいです。

水本:京都のお寺にいくと、いまもお月見の宴をされているところがあると思います。

竹本:平安の時代だと、まだお団子はなくて、里芋を神様にお供えしてきた。そんな流れから、お月見団子がいまのように芋のかたちに似せたものになっていったのだと考えられます。

水本:農民、庶民は貴族とは違って、河原にあつまって一年の農作業の打ち上げをしていた。里芋を炊いて、みんなで月を見る。芋煮といって、いまでも愛媛などでは受け継がれているんですよ。

水本さんが持ってきてくれた、お芋の一品、里芋のごまクリームがけ。

月見だんごのこと。

月見だんごは、平安の頃はなかったんですね。いつ頃から食べられるようになったのでしょう?

竹本:江戸時代からではないかと思います。いまある伝統的なお菓子のほとんどは、江戸後期に生まれたといわれています。ちょうどその頃から、砂糖が庶民のあいだでも食べられるようになったんですね。

和菓子の歴史をもっと遡ると、西暦70年あたりが日本のお菓子のはじまりだとされています。いまの兵庫県北部にあたる但馬の国を治めていた田道間守(たじまのもり)が、天皇のために「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」というお菓子を遠い国から持ち帰った。それは、いま私たちがイメージするお菓子ではなくて、果物の実でした。

もともと日本語では、果物とお菓子の区別がありませんでした。和食屋さんでご飯を食べたあとに「水菓子」といってフルーツが出てきますよね。それも、果物がお菓子と呼ばれていた名残ですね。

竹本:月見に里芋をお供えしていた頃、都は京都にあった。江戸時代になってお菓子がつくられるようになって、関東では丸い月を見立てて新しく丸いお団子が生まれた。月見団子に関西風と関東風の違いがあるのは、もともと発生したときの都の場所が違うからではないかと思います。

芋をお供えしていた頃のかたちがのこった、関西風の月見だんご。

竹本:それから、これは関東風における話ですが、お供えする団子の数というものもあって、十五夜は15個、十三夜は13個というように数合わせになっているんです。

十五夜と十三夜。

 お月見って、年に一度限りのイベントではなくて、十五夜と十三夜があるのですね。

竹本:暦では旧暦の8月15日が十五夜、9月13日が十三夜といわれています。毎年日が変わりますが、2018年の場合だと、9月24日が十五夜で、10月21日が十三夜にあたります。

ということは、お月見は二度楽しむものなのですね。

水本:二度“楽しめ”と言われています(笑)。「片見月(かたみづき)」は良くないと昔から言われていて。

竹本:十五夜を見たら、十三夜を見なきゃいけない。もっと言うと、十五夜を見なかった人は十三夜を見てはいけない。これには諸説ありますが、もともとは吉原の遊女が十五夜に来てくれたお客さんにまた来てほしいから、「片方だけの月を見るのはよくありませんよ。十三夜も私のもとで月を見てください」と。そういうところから来ているという話もあるんです。

面白いですね。いろいろな言い伝えがあるんすね。

竹本:いまは、どっちも見ないといけないかと言うと、そんなこともなく。

水本:両方晴れているとは限らないですし。

竹本:そもそも「十五夜・十三夜=満月」とは限らないんです。月の周期がきっちり30日ではないので、実際、十五夜の翌日が満月ということもあります。ただ、月が綺麗であることは間違いありません。

お供えものは、泥棒するもの?

水本:お供えのお菓子なんかは、縁側に置いてあるのを盗んで食べられても誰も怒られない。「泥棒するもの」みたいな感覚もあったそうです。

わざと取られてもいいように縁側においていく。それを近所のこどもたちが食べたりしていたのでしょうか。

水本:今でも、地域によっては「月見泥棒」という風習があって、こどもたちにお菓子をあげたりしています。収穫のお祝いなので、そういうお裾分けのかたちが伝わっているのでしょうね。

竹本:収穫によって、その先一年の暮らしが潤うわけですから、私たちが思っている以上に、昔の人にとって収穫の時期というものはものすごく嬉しいものだったろうし、月はすごく綺麗だったはずです。商売人で言うところの一攫千金ではないけれど、気持ちが大きくなるようなイベントだったのかもしれません。

ところで、マンションでも、お月見は楽しめますか?

マンション住まいだと、お月見を楽しむのに、どういうことからはじめたらいいですか?

水本:お月見に限らず、伝統的な文化ってわりと格式高く書かれているけれど、もともと日本人が月と一緒に暮らしていて、一年の感謝をするというものだから、形式的なところをなぞるのではなく、もっとイメージで楽しめばいいと思うんですね。年に1,2回でいいから、お月さんを見て感謝する。いまの人だって、気づいてないけど、月から大きな恩恵を受けているはずだし。

竹本:「昔の人にとって、月明りってどんなものだったのかな」とか、「いま自分が住んでいる地域ってどんな所だったんだろう」とか、月見だんごが里芋のかたちをしているのを見て、「当時の人からしたら里芋ってすごいものだったのかな」とか。そういうものに想いを馳せるだけでも、すごく価値のあることだと思うんですね。

水本:そういう風に時間が使えたら素敵ですよね。

竹本:あれこれ思いながら、買ってきたおだんごをパクリと食べる。それくらいの気軽さで大丈夫だと思います。

水本:今では当たり前のように材料があるけれど、昔の人は一年待ってようやく小豆がとれるわけですね。

竹本:収穫は一回きりなので。直前に台風がきたりすると一年が台無しになる。生きていけない。私たちは和菓子をつくっているので、小豆とは縁があるのですが、現代ですら毎年小豆の収穫量って変わるんです。そういうものを農家のみなさんに育てていただいている。まだまだ過去のは話ではなくて、僕たちも毎年毎年お菓子がつくれるかどうかって分からないんですよ。

水本:いまは自分たちで農作業もしてないし、代わりにやってくださっている方がいる。お月見のようなイベントの時だけでも、自分たちの先祖や、いま農業を営んでいる人のことを想ってみる。そんなひと時になればいいなと思います。

家の“中”と“外”の境界が、無くなりつつある。

水本:数年前にグランピングが流行して、お家でも中と外の境界が変わってきました。それまでは、ベランダは洗濯物を干す場所だったのが、ウッドデッキを敷いたり、椅子を並べたりして、外も家の一部として楽しもうという流れが来ているように感じます。

竹本:ベランダの奥行きを広くとるマンションもふえてきていますよね。お風呂あがりとかに夜風をあびながら飲むお酒は、やっぱり美味しいですしね(笑)。

水本:ベランダを使って、お客さんを招いて、「うち月が見えるから、デッキでごはん食べない?」と、お月見パーティを楽しむ人も増えつつあるようです。私たちのお店でも、そういう道具を求めてくるお客さんが増えてきたように感じています。

「三宝(さんぽう)って、どういう風に使うんですか?」と聞いてくる人もいるので、使い方もお伝えするようにしています。そもそも、三宝という名前もあまり知られていないので、インターネットでどうやって検索すればいいのか分からないし、百貨店に行っても見当たらない。私たちのお店に来て、「あっ、あった!」という方もいらっしゃいますね(笑)。

神様の器、「三宝」の使い方。

水本:これが三宝です。神様がごはんを食べる器だと思ってください。だから、お月見だけでなく、神棚にお供えをする時でも、人と神様のあいだに必ずあるものなんですね。おそらく見たことない人はいないはず。でも、いざ自分で使うとなると、みなさんかなりの確率で間違えますね。

水本:まずこれ、下の台と上がくっついてると思われるんですよね。たしかに、くっついてるものもあるけれど、別々のものなんです。

水本:「筒胴(つつどう)」といわれる下の台には、3つ穴が空いています。3つの「方」と書いて「三方」とも言いますし、3つの「宝」と書いて「三宝」とも言います。

水本:穴もやみくもに空いているのではなくて、宝の珠のかたちをしています。京都とかに行くと、橋の欄干に擬宝珠(ぎぼし)と言って玉ねぎのようなかたちをしたものが付いていると思います。そのとんがっている方が上になります。

水本:その上に載せるものを、「折敷(おしき)」と言います。これにも前後があります。よく女性に説明するときは、ここに一ヵ所だけ“留め”があるんですけど、この留めを“ブラホック”だと思ってくださいって言うんです(笑)。つまり、こっちが背中なんですね。

水本:下の台ですが、穴が空いていない面を神様に向けます。その反対が、人に向くことになります。そして、さっきのブラホック(笑)を、人に向く面と揃えて置きます。

これが、人の側から見た時の正しい置き方。
神様の側、お月さんの側から見るとこうなる。

水本:月見のお供えでは、お月さんのほうに神様がいるので、月のほうに正面を向けます。神様は、すすきのところにおりてこられて、お供え物を召しあがる。そのお下がりをいただくことでご加護を得るというのが、お月見のお供えになります。

すすきって、気をつけないと手が切れてしまうくらい葉が鋭くて、魔除けとしてよく用いられてきました。それから、すすきを置く向きもあります。神様から見て、左側にすすきなんです。すすきは自然に生えているものなで、自然のもののほうが人の手でつくったものよりも位が高いんですね。日本では、右大臣より左大臣が偉いというように、左優位の考え方があります。だから、人の手でつくったお団子は、神様から見て右に置くことになります。

自然を敬う考え方が、そういう置き方ひとつにも出ているんですね!

自然のものであるすすきは、神様から見て“左側”に、人の手でつくったお団子は“右側”に。

お月見と楽しむお菓子は、自由。

お団子って、どのくらいお供えしておけばいいのでしょうか?

竹本:1日おかないといけないとか、決まりがあるわけではありません。たとえ5分であってもまずお供えをしてからいただく。その気持ちが大切なのかなと思いますね。

このお団子を食べなければいけない、という決まりもなくて、お菓子も自由に楽しんでもらえたらと思います。きょうは、「うさぎ薯蕷(じょうよう)」も持ってきてみました。ただうさぎの顔を描いているというだけでなく、もともと薯蕷まんじゅうの材料は、お芋なので、そういう意味でお月見に合うんですね。山芋のもっちり、ねっちりとした食感を楽しんでもらえたらと思います。

竹本:十五夜はさといもの収穫の時期なので、里芋をお供えしてきた。十三夜のころはその時期に採れる豆、栗をお供えしてきた。自然にいま採れた一番良いものを神様にお供えしてきたのでしょうね。だから、十五夜は芋名月、十三夜は豆名月、栗名月という風にも言います。たとえば、十三夜では豆にちなんで「黒豆大福」などのお菓子を楽しんでもらうのもいいと思います。

丹波種の黒豆を生地にくわえ、その生地で餡を包んだ黒豆大福。

水本:さっき三宝の紹介をしましたけど、必ずしも三宝を使ってお供えをしないといけないというわけでもありません。家にある器を使って、思い思いのお月見を楽しんでもらえたら、それが一番良いと思います。

大切なのは、かたちよりも、「ありがとう」の気持ち。

本当に今日は、いろいろと勉強になりました。こういうことを知っている人というのは、いまでは随分減っているのかも知れませんね。

竹本:和菓子の世界でも、やはり歴史のことや、一つひとつの材料のことが分かると、美味しさもいっそう増していくのではないかと思いますね。

水本:お月見にしても、お正月にしても、地域によっていろいろな形式があります。でも、かたちよりもっと大切なことが、すこんと抜け落ちてしまっているような気もします。形式的なことよりもまずは、自分が「ありがとう」という気持ちを持てるか持てないかということが大事だと思います。

竹本:感謝の儀式ですからね。お菓子も、ただ買って食べるのと、何かを思いながら食べるのとで、また違ってくると思います。

 

<取材協力>

髙山堂
http://www.takayamado.com

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