夜のフレームキッチンで、私に戻る。
家族が寝静まり、家の中の音がすっと遠のいたあと。私はキッチンの端に小さな椅子を置き、静かに腰を下ろします。
棚の一角からノートを取り出し、ペン立てから一本選び、小さなライトと蝋燭に火を灯す。
オレンジ色の揺らぎが、木の棚やステンレスのフレームにやさしく映り昼間の機能的な顔とはまったく違う表情をこの場所につくり出します。
今日もペンを取り、私はこの記事をキッチンで書いています。
はじめまして。蒲原ひかりと申します。佐賀県にある自宅で、料理教室を開いたり、工務店や住宅メーカーで暮らしのセミナー講師を務め、“暮らしの再編集者”として活動しています。
一日の終わり、誰かのための役割をすべて終えたこの時間が、私にとっていちばん「自分に戻れる」瞬間です。
私にとって日中のキッチンは、誰かのための場所です。
食事をつくり、片づけをし、段取りを考え、家族の時間を支えるために止まることなく動き続ける。そこには常に「用」があり、「目的」があります。
けれど夜のキッチンは違います。
ここには、何かを成し遂げる必要がありません。
ただ座って呼吸をして、考え、書く。そして心の赴くままに愉しむ。役に立たなくていい時間が静かに流れています。
フレームキッチン
私の自宅のキッチンは、黒の鉄フレームとオークの木で構成された、フレームキッチンです。
家づくりをしていた時に、洗練されたデザインと空間の抜け感に惹かれ、一目惚れしました。
鉄のフレームが凛と立つ姿は力強く、無垢の木は日々の暮らしを受け止めてくれるやわらかい掌のように優しい。1日の疲れがすっと抜けていくような感覚があり、キッチンにいるだけで癒されます。
キッチンが「作業場」ではなく『居場所』になるとは、こういうことなのだと知りました。
フレームキッチンは扉のないすべてがオープンなつくりです。どこに何を置いてもいい。何を置いてはいけない、という決まりもありません。
棚には、日常使いの器の横にペン立てがありノートが積まれ、その隣には読みかけの本。さらに、お気に入りのぬいぐるみが、器と器のあいだにちょこんと座っています。
キッチンなのか、書斎なのか、居場所なのか。その境界線は、最初から引かれていません。
この「用途を決めなくていい」という『感覚』が、私の心を少しずつ解いてくれました。
私が思う、このキッチンの魅力は、この枠組みの中に自分の感覚で自由に設計し、収めていけることだと思っています。
ここに置きたい、と感じたものを置いてみる。しっくりこなければ、また動かせばいい。完成形を急がなくていい。
それが、「ちゃんとしなきゃ」でいっぱいになっていた頃の私を救ってくれました。
あるとき、新居に遊びに来てくれた友人が言いました。
「わたしは片づけが苦手。いつもキッチンに置いちゃいけないものまで、あれこれ置いちゃうんだよね」と。
それを聞いて、なんだか違和感を覚えました。
――ちぐはぐは、いけない。
――キッチンには、キッチンにふさわしいものだけが並んでいなければならない。
空間に対しても、自分自身に対しても、私たちは知らず知らずのうちに「こうあるべき」を抱え込んでいるのかもしれません。
情報、肩書き、役割、評価、数字。
仕事、家庭、SNS、正解らしき生き方…。
意識していなくても、私たちは何かに寄りかかりながら日々をどうにか成立させています。
ちゃんとやれているか、ズレていないか、
いつの間にか社会の物差しで、自分を測る癖がついていました。
仕事をしている自分。
役割を果たしている自分。
誰かの役に立っている自分。
それらは確かに私の一部です。けれど、全部ではないはずなのに。いつの間にか、「それが私」になっていました。
友人の言葉にはっとさせられた私は彼女に伝えました。
「好きなものを好きに置いたらいいよ。自分の家なのだから」
自分を取り戻す「ストップタイム」
気付かぬうちにアイデンティティを仕事に家族に依存してしまいがちな昨今。
私たちは、仕事がうまくいっている間だけ、家事をうまく回せたと思えたときだけ、安心して呼吸をしているのかもしれません。
評価されているときは、自分の足で立っているつもりでいます。しかし実はとても不安定。
仕事が止まったらどうなるのか。誰からも評価されなくなったら、私は誰なのか。そんな問いを、忙しさで押し流してきたのだと思います。
夜になると、昼間は気づかずにやり過ごしていた違和感が、ゆっくりと浮かび上がってきます。
何かをしていないと落ち着かない。
自分だけの時間を過ごしていると、どこか後ろめたさを感じてしまう。
その感覚の正体は、怠けているからでも意志が弱いからでもなく、「存在の置きどころ」を、社会に預けてきた長い習慣なのだと思います。
「どれくらい役に立つか」
「どんな成果を出しているか」
「何をしているか」
そんな「存在の棚卸し」を繰り返すことでしか、自分を感じられなくなってしまったように思います。私はそうでした。
自分で自分を愛でることに恐怖すら覚えたり、“今日も頑張った頑張った”と椅子に腰かけSNSを開くとそこにはもっと頑張っていると思える人たちが視界に流れ込んできては落ち込んでみたり。
何もしていないと感じてしまう自分を、自分で許せなくなっていたのでしょう。
だから、私は自分の意思で思考をコントロールする「ストップタイム」を作りたかった。
携帯をナイトモードに設定し、無意識に流れてくる情報を遮断した夜のキッチンで過ごす時間は、様々な気づきを与えてくれます。
何も生み出さなくてもいい。
今日はこれ以上、頑張らなくてもいい。
夜のキッチンは、そんな感覚を言葉にせず受け止めてくれます。
整っていなくても、ちぐはぐでも、
途中のまま置かれているものたちが、
「それでもいい」と並んでいる。
そんな自宅の風景を前にすると、
自分の中にあった厳しさが少しずつほどけていくのがわかります。
空間が許してくれることは、
不思議と、そのまま自分の心にも伝わってくるのです。
キャンドルの灯りで自分を取り戻す、贅沢な夜の過ごしかた
夜のキッチンで椅子に座り、蝋燭の灯りの下でノートを開く。(なんて贅沢な時間なんだ)
料理もしない。片づけもしない。
その時間に「それでも私はここにいる」と感じられるかどうか。それが、私にとってのアイデンティティの核心でした。
フレームキッチンの骨組みだけが見えるその佇まいは、どこか今の私自身に似ていると感じることがあります。(いや、一緒に暮らして似てきたのかな)
好きなものを自由に置いてみることができるこのキッチンは、凝り固まっていた私の思考を、少しずつほぐしてくれる、もはや相棒です。
「こうあるべき」「これは違う」という判断を、いったん脇に置く練習を、空間そのものがさせてくれる。
“暮らしを再編集する”というのは、何かを足すことではなく
本当は要らなかった前提を外していくことなのだと思っています。
キッチンを、作業の場から、居場所へ。
アイデンティティを、肩書きから、感覚へ。
フレームキッチンを家の顔にしたことで、毎日その姿が目に入る。
そのたびに、心が少ずつ緩んでいくのを感じます。
夜のキッチンで、蝋燭の灯りに照らされながらペンを走らせるこの時間が
私にとっての小さな自由であり、流れゆく社会への抵抗でもあるのかもしれません。
蒲原ひかり/暮らしの再編集者
佐賀にあるお菓子工房を併設した自宅で料理教室や、ワークショップを開催。
工務店や住宅メーカーで暮らしのセミナー講師を務め、“暮らしの再編集者”として活動。
「ちゃんとしすぎない」「決めすぎない」を大切に、暮らしの余白を愉しみながら日々の台所に立つ。料理そのものだけでなくそこから生まれる感覚や思考、言葉にならない違和感をすくい上げ食と言葉にして届けています。
Instagram:@hikari_seikatsukenkyujin
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